宮桃町会の記録

宮桃町会旗樹立式

町会旗樹立式_S56.6.16
町会旗樹立式_S56.6.16

 

昭和56年6月16日、町会にお住まいの井上常勝氏より宮桃町会へ新たな町旗の寄贈があり、町会旗樹立の記念式典が行われました。 



敬老の集いの記録

敬老の集い_H16.10.10
敬老の集い_H16.10.10

平成16年10月10日 桃園地域センター

敬老の集い_H18.10.18
敬老の集い_H18.10.18

平成18年10月18日 桃園地域センター



中西アトリエ所蔵映像

下の映像は、開戦翌年の昭和17年、当時宮桃町会で役員をされていた中西利雄氏が、9.5mmの映写機(パテベビー)で、その年の宮桃町会の様子を記録した大変貴重な映像です。

 

中西利雄(なかにしとしお):1900年~1948年(明治33年~昭和23年)

1924年(大正13年) 第5回帝展に水彩画が初入選

1928年(昭和 3年) 渡仏(~同6年)この間、ヨーロッパ各地をまわる

1934年(昭和 9年) 第15回帝展で「優駿出場」が特選

1935年(昭和10年) 第二部会展で「婦人帽子店」が特選

1936年(昭和11年) 猪熊弦一郎、内田巌、小磯良平らと共に「新制作派協会」を結成

1948年(昭和23年) 自宅で死去

 

昭和戦前期、水彩画界に新しい息吹を吹き込んだ中西利雄氏は、水彩画の革新者と言われています。多くの作品が全国の美術館、またパリにも所蔵されています。

 

また、中西アトリエでは、多くの画家や彫刻家(イサムノグチや陶山侃等)が訪れていました。

中でも「高村光太郎」が、このアトリエで生活しながら、十和田湖にある「乙女の像」を制作されました。そして、このアトリエで亡くなられた事は大変に有名です。

 

この度、中西利雄氏のご子息、中西利一郎氏のご厚意により、中西アトリエに所蔵されている昔の記録映像から、今回の映像をお借りし、ご協力をいただきました。中西利一郎氏には大変に感謝申し上げます。

 

映像は8つに分けてあります。貴重な映像を是非お楽しみください。

尚、この映像の貸し出しは致しません。また、ダウンロードはお断り致します。


昭和17年度 宮桃町会の催

① 町会役員録

当時(昭和17年)の町会役員の名簿です。

巻物を広げている子どもは中西利一郎氏です。 

② 或る日の町会常会

桃三小(現 桃花小)で、町会の会議が行われた時の映像です。



③ 宮城遙拝

町会みんなで、皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝)するところを映している映像です。

 

④ わが町の出征

のぼり旗を見ればわかりますが、自宅前で戦地へ出征する「遠藤豊四郎君」を町会役員?と思われる方が、万歳三唱をして戦地へ送り出すところの映像です。



⑤ 防空展見学

攻撃に備えて、町会みんなで装備品の展覧会へ見学に行かれた時の映像です。

 

 

⑥ 楽しい隣組錬成大会

若い男性は戦地へ、残された女性や子ども、年配の男性等で、町会で運動会を行った時の映像です。映像から入賞者の景品は野菜の様です。



⑦ 開戦一周年 祈願祭

開戦1周年を記念し、町会として、日本が戦争に勝利するため、祈願祭を開催した時の映像です。

⑧ 憶へ 12月8日

日本の必勝を願い、先頭に町旗を掲げ、(おそらく)明治神宮へ参拝しに、行進しているところの映像だと思います。



その他の貴重な記録

宮桃町会のあゆみは「町会のあゆみ」にあります。

お祭りの貴重な映像は「お祭りの記録」にあります。

地域などの歴史は「地域と中野の歴史」にあります。

地域などの昔の画像や映像は「地域と中野の記録」にあります。